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ヘアピンカーブに咲く桜 [町歩き・須崎市]

高知県須崎市吾井郷乙と桑田山乙にまたがる国見地区
ヘアピンカーブの連続する旧道に桜並木がある。(クリックすると大きな画像が表示されます)

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この道路は明治22(1889)年に須崎と佐川を結ぶ県道として完成。 平成5(1993)年に国道494号線に昇格した。

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通称 宮ノ谷の大カーブ 幾度となく改良工事が重ねられたが拡幅工事にも限度があり、カーブの位置は完成時とほぼ変らない。

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現在はこのカーブ道を避けて新道が完成し交通量は激減。地元で並木の世話をしている男性の話では桜の木が以前よりも元気になったそうだ。

金毘羅(こんぴら)信仰 灯明台 [町歩き・須崎市]

灯明台の多くは川沿いの道端にあって、金毘羅灯篭とも言われ金毘羅様の遥拝所であり、また氏神様の祭日には灯明を明かした。
昔の各部落には金毘羅講(こう)があって持ち寄りの酒肴で遥拝し、代表が讃岐(香川県)の
金刀比羅宮本社へ参拝した。            (クリックすると大きな画像が表示されます)

須崎市神田(こうだ)新川橋たもとの灯明台。左の石塔は遍路の道しるべ。

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須崎市多ノ郷甲 田ノ地の灯明台。土台部分に火袋の一部と思われる石片が置かれている。

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須崎市池ノ内の灯明台。土台には「昭和50年12月10日移転」と書かれている。

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これら3基の灯明台すべてに「元治二年乙丑三月吉日」と刻まれている。(元治2=1865年)
資料によると須崎市内には約20基の灯明台があるが、その多くが嘉永3(1850)年から慶応元(1865)年の幕末期に建立されている。

参照  ブログ記事 「金毘羅信仰 吾井郷の灯明台」 2012-06-24

紀元2600年 産業報國神社 [町歩き・須崎市]

須崎市桑田山乙 白石工業株式会社正門左側の迎賓館横に「産業報國神社」と刻まれた御影石の石柱がある。裏面には縦書きで「皇紀二千六百年 白石工業株式會社土佐工場有志」と刻まれている。                     (クリックすると大きな画像が表示されます)

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70段余りの石段を登ると石造りの鳥居が見えてくる。 鳥居額には「産業報國神社」 右の柱には「奉 皇紀二千六百年」 左の柱には「献 白石工業株式會社 土佐工場報國會」

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昭和15(1940)年が神武天皇の即位から2600年に当たるとされたことから、政府は昭和10(1935)年に「紀元二千六百年祝典準備委員会」を発足させ、各地の神社などを整備し記念行事を計画推進した。

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詳しくはわからないが、この産業報國神社もその一環で作られたものだろう。神社は鉄筋コンクリート製で作りは質素ながら、建材の調達には事欠かない時代だったのか塗り壁が見られる。

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一部で鉄筋が露出しているが、ひび割れや崩落は見当たらない。 築後70年余りを経過したとは思えないほどの堅牢な作りだ。

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猫のお地蔵さま 箕越の猫神社 [町歩き・須崎市]

高知県須崎市箕越(みのこし)地区にある猫神社 (ブログ記事「箕越の猫神社」を参照)
50年以上前の資料に載っている石製の猫のお地蔵さま。 地区の方に教えていただき3体が現存していることが確認できた。          

左側に置かれたもの 高さ(台座とも)34cm 幅17.5cm 台座の幅22.5cm 舟形光背にちょこんと座った猫                   (クリックすると大きな画像が表示されます)

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中央に置かれたもの 高さ36cm 幅20.5cm 長方形の石に凹彫り線画で描かれた
左向きの猫。

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少し角度を変えて見た。 

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右側に置かれたもの 高さ37cm 幅21cm 舟形光背の下半分に左向きでこちらを向いた猫。

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昔はネズミの番などに飼われ家族の一員だった猫の霊を弔うために作られたものだろう。
狛犬風の猫地蔵は見かけるが、人のそれと同じ舟形光背のある地蔵は珍しいと思う。

断崖絶壁 長佐古隧道 [町歩き・須崎市]

高知県須崎市安和 国道56号線を分岐し海岸に沿って県道320号線を約3.3km進んだところに長佐古隧道がある。

南側から見ると道路から海面まで30m以上はありそうな断崖絶壁。 南側の隧道入口は洞門(ロックシェード)に覆われている。          (クリックすると大きな画像が表示されます)

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隧道から洞門入口に移設されたタイルパネルには、右書きで昭和三年十一月??長佐古隧道と書かれている。(昭和3=1928年)

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洞門はカーブに沿って天井の梁が放射状に並んでいる。隧道入口上部にはタイルパネルを外した跡が残っている。

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北側の隧道入口には洞門は無く、タイルパネルも残っているが文字は読みづらい。
隧道の長さは33.8m、幅6.3メートル(筆者実測値) 構造は路面から2.4mまでは角石積み、アーチ部分にはコンクリートブロックを巻いている。

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この道路は昭和44(1969)年に焼坂トンネルが開通するまでは国道56号線だった。
洞門の柱の間からは太平洋が見え、右には中土佐町との境界の青木崎が見える。

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平成24年5月現在 青木崎で通行止のため中土佐町側からは行くことが出来ない。

骨董的骨董店 古美術おざき [町歩き・須崎市]

高知県須崎市東古市町 古美術おざき
屋根は日本瓦の和洋折衷建築。派手でもなく地味でもない暖かいクリーム色で塗られている。
                              (クリックすると大きな画像が表示されます)

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看板は独特の筆文字で、下端に申し訳なさげに小さく書かれた「おざき」の文字にも品がある。南側(画像右)には倉庫が増築されていて側面が見えないのが残念。

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公共建築に多く取り入れられた、典型的なドイツ破風と下見板の組み合わせが美しい。

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大きなアーチ 第二領地橋梁 [町歩き・須崎市]

高知県須崎市安和 
JR土讃線が海沿いに走る土佐新荘駅と安和駅の間に第二領地橋梁がある。
                               (クリックすると大きな画像が表示されます)

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第二領地橋梁は昭和13(1938)年に、日本初の「鉄道用5径間連続RC開腹アーチ橋」として完成したが、当時は丸鋼の入手が困難だったため鉄筋に廃レールが代用されたそうだ。

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大スパンのアーチ部分を下から見上げる。長年風雨や潮にさらされてきたが耐久性が高く、現在も建設当初の姿のままだ。

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地元農家のご好意でみかん畑から撮影させてもらった。
橋梁が完成した翌年(昭和14年=1939年)11月15日には、須崎駅と土佐久礼駅の間11.0kmが開業した。

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歴史的土木構造物として平成16(2004)年度に土木学会選奨土木遺産に認定された。

四代目の味 丸共味噌醤油醸造場 [町歩き・須崎市]

高知県須崎市中町1丁目 通りに面した工場へ一歩入ると美味しい醤油の香りが漂ってくる。
有限会社 丸共味噌醤油醸造場    創業は大正時代、設立は昭和25(1950)年。
現在は四代目夫婦に受け継がれ、刺身には欠かせない「さしみ醤油」をはじめ味噌やポン酢も製造されている。                    (クリックすると大きな画像が表示されます)

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工場内には、現在は使われていない木製やコンクリート製の歴代のタンクが並べられ「資料館」の様相だ。圧巻は他社から譲り受けたという圧力釜。鉄製で無骨だが大きな歯車やリベットにひとの温もりを感じる。

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工場の天井を見上げると歳月を感じる柱や梁が縦横に走る。必要に応じて改修され、再利用されている部材もある。 


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下半分が赤レンガ作りの社屋側面に描かれた黒い四角に赤の社標。歩いているようにも笑っているようにも見える。

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金毘羅信仰 吾井郷の灯明台 [町歩き・須崎市]

高知県須崎市吾井郷(あいのごう)には3基の灯明台が残っている。
(ブログ記事「金毘羅(こんぴら)信仰灯明台」を参照)
                              (クリックすると大きな画像が表示されます)

(1)吾井郷岩永集会所にある灯明台
集会所の完成にともない現在の場所に移動したらしい。慶応元丑十月吉日 奉寄進 邑中 と刻まれている。(慶応元年=1865年)

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火袋の上部には金刀比羅宮を表す〇に金の印が見える。

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灯明台との関係はわからないが、そばに置かれた手水鉢には、明治丗四年九月 奉獻 西村達次 兼次 弥八 と刻まれている。(明治34年=1901年)

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(2)吾井郷尾殿 桜川河畔の灯明台
丈夫な石組みの上に建っている。 安政四年 奉寄進 丁巳三月吉日 氏子中 と刻まれている。(安政4年=1857年)

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ひび割れはあるが原形をとどめている修復前の火袋。明治十一年戌寅年八月十日 と刻まれ、灯明台よりも21年あとの日付になっている。(明治11年=1878年)

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修復された火袋も原型と同じく明治十一年戌寅年八月十日。

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(3)吾井郷国見 候申橋の下に建つ灯明台
安政五戌(午)?載八月 吉祥(男)? 獻燈 邦見三ヶ邑 と刻まれている。(安政5年=1858年) 国見を「邦見」と書いている。

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立派な灯明台だが火袋は木製。石の劣化も心配される。

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短い鉄橋 防谷開きょ [町歩き・須崎市]

高知県須崎市吾井郷為貞(ためさだ)地区の入口に 「防谷開きょ」 という短い鉄橋がある。
塗装シールには、「吾桑・多ノ郷間163K705M17 支間2M44」と書かれている。
                            (クリックすると大きな画像が表示されます)

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構造は分厚いH鋼を組み合わせ枕木が4本。片側に保線用の通路があり欄干(手すり?)が付いている。

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通路の幅は路面で160cm、中央レーチングの下は水路になっている。 軽自動車の最大幅は148cmなので計算上は通過できるが試す勇気がなかった。

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地元の方の話では、昔は自転車や荷車が行き来するだけで問題はなかったが、自動車の時代になり困りだして旧国鉄に何度か拡幅工事を願ったが受け入れられなかった。現在は自動車道の側道が出来たので不自由しなくなったそうだ。

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JR四国高知企画部を通じて高知保線区に伺ったところ、「鉄橋の長さは定義によって違ってくるが土佐山田には2m弱の鉄橋がある、防谷開きょは高知管内では短い方から5~6番以内に入るだろう」と、いう回答をいただいた。

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