金毘羅信仰 吾井郷の灯明台 [町歩き・須崎市]
高知県須崎市吾井郷(あいのごう)には3基の灯明台が残っている。
(ブログ記事「金毘羅(こんぴら)信仰灯明台」を参照)
(クリックすると大きな画像が表示されます)
(1)吾井郷岩永集会所にある灯明台
集会所の完成にともない現在の場所に移動したらしい。慶応元丑十月吉日 奉寄進 邑中 と刻まれている。(慶応元年=1865年)
火袋の上部には金刀比羅宮を表す〇に金の印が見える。
灯明台との関係はわからないが、そばに置かれた手水鉢には、明治丗四年九月 奉獻 西村達次 兼次 弥八 と刻まれている。(明治34年=1901年)
(2)吾井郷尾殿 桜川河畔の灯明台
丈夫な石組みの上に建っている。 安政四年 奉寄進 丁巳三月吉日 氏子中 と刻まれている。(安政4年=1857年)
ひび割れはあるが原形をとどめている修復前の火袋。明治十一年戌寅年八月十日 と刻まれ、灯明台よりも21年あとの日付になっている。(明治11年=1878年)
修復された火袋も原型と同じく明治十一年戌寅年八月十日。
(3)吾井郷国見 候申橋の下に建つ灯明台
安政五戌(午)?載八月 吉祥(男)? 獻燈 邦見三ヶ邑 と刻まれている。(安政5年=1858年) 国見を「邦見」と書いている。
立派な灯明台だが火袋は木製。石の劣化も心配される。
(ブログ記事「金毘羅(こんぴら)信仰灯明台」を参照)
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(1)吾井郷岩永集会所にある灯明台
集会所の完成にともない現在の場所に移動したらしい。慶応元丑十月吉日 奉寄進 邑中 と刻まれている。(慶応元年=1865年)
火袋の上部には金刀比羅宮を表す〇に金の印が見える。
灯明台との関係はわからないが、そばに置かれた手水鉢には、明治丗四年九月 奉獻 西村達次 兼次 弥八 と刻まれている。(明治34年=1901年)
(2)吾井郷尾殿 桜川河畔の灯明台
丈夫な石組みの上に建っている。 安政四年 奉寄進 丁巳三月吉日 氏子中 と刻まれている。(安政4年=1857年)
ひび割れはあるが原形をとどめている修復前の火袋。明治十一年戌寅年八月十日 と刻まれ、灯明台よりも21年あとの日付になっている。(明治11年=1878年)
修復された火袋も原型と同じく明治十一年戌寅年八月十日。
(3)吾井郷国見 候申橋の下に建つ灯明台
安政五戌(午)?載八月 吉祥(男)? 獻燈 邦見三ヶ邑 と刻まれている。(安政5年=1858年) 国見を「邦見」と書いている。
立派な灯明台だが火袋は木製。石の劣化も心配される。
2012-06-24 17:56
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コメント(2)
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とんびさん、こんにちは。
久しぶりに更新されてますね!
「何とな〜くどこかで見たな〜」っと
思いながら拝見してました。
ただただ見過ごすものも、こうやって
とんびさんが紹介してくれることで、
こんなに古いものだったんだ〜っと
改めて気付かされました。
by あずき (2012-06-27 14:25)
こんにちは。コメントありがとうございます。
6月は天気は悪いし少しスランプに陥ってしまい更新がなかなか出来ませんでした。
刻まれた文字を見ていると自分なりに発見があったりして楽しいものです。またアップしますので宜しくお願いします。
by とんび (2012-06-28 16:42)