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謹賀新年 お正月様 [行事・須崎市]

高知県須崎市から、明けましておめでとうございます。

平成24年2月21日にブログ『ノコシテオキタイ』を開設以来、約17000のアクセスをいただき、
ありがとうございました。またコメントのほかにも、県内外から記事への問合せなどをいただきましたが、十分な回答も出来ず失礼いたしました。 稚拙ながら続けて行きたいと思いますので、
今後とも宜しくお願いいたします。

正月飾りの風習はどこにもあると思うが、地方や家庭によっても違いがあるように思う。我が家では「お正月様」とよび大晦日に、普段の米、塩、水、酒に加えて神棚などに飾りを置く。元旦の朝に雑煮を作り供える。               (クリックすると大きな画像が表示されます)

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膳に和紙を敷き米を盛り、松竹梅とユズリハを挿したダイダイを載せる。米の量は適当だが、表面にはサイコロに切った餅を15個、頭付の雑魚を15匹並べる。

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もう一つの膳にも同じく和紙を敷き、中程度の重ね餅1個(簡素化され市販のプラスチック製になった)、小さな重ね餅を7個、輪じめ7本、シダとユズリハを各7枚置く。

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神葬様(仏式の仏壇に当たる)、恵比寿大黒様、五社(神社)様には、和紙を敷き重ね餅を1個、輪じめ1本、シダ、ユズリハを各1枚置いて祀る。 昭和30年代までは他に、かまどの神様、風呂の神様、井戸の神様、便所の神様まで正月飾りを祀っていた。

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また、玄関に注連縄(しめなわ)を飾る家庭も多いが、正月が終われば取り外す家や、年の瀬まで置き新しいものと取り替える家など、地域や家庭によって違いがあっておもしろい。

懐メロが聴こえてきそう 岩井レコード店 [町歩き・須崎市]

高知県須崎市新町1丁目 ひときわ目立つ昔ながらのレコード店がある。
                             (クリックすると大きな画像が表示されます)
岩井レコード店 太平洋戦争終戦の翌年昭和21(1946)年に開業した。しかし同じ年の12月21日に南海大震災による大津波の被害をうけ、商品は流され店内には大きな流木が横たわっていたそうだ。

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店主は大被害にもめげず再びレコード店を開業した。小さくシンプルな看板が目を引く。
店舗自体は昭和初期の造りで、外壁は板張り、軒先の棟瓦は3層から4層に積まれ漆喰で固められている。二階の黒い部分は大戦中に空襲を避けるために塗られたものだろう。

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玄関の大きなガラス張りの引き戸を開けて店内に入ると、中央の一段高いところにグランドピアノが置かれ、左右には懐かしいレコード(非売品)を陳列している。

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店舗の奥に置かれた木製の棚。 「最初はこの棚にSP盤のレコード盤を入れて、顧客には実際に聴いてもらってから売っていました」 店主はついこの間のことのように話してくれた。

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古地図 明治39年の須崎 [資料・須崎市]

高知県(現)須崎市を中心とした古地図      (クリックすると大きな画像が表示されます)

この古地図は1/50000で、大日本帝国陸地測量部(日本陸軍参謀本部の外局で国内外の地理、地形などの測量・管理等にあたった、現在の国土地理院の前身 wikipediaから)によって明治39(1906)年に測量が行われ、明治43(1909)年に印刷されている。
北西は(現)佐川町尾川、北東は(現)高知市春野、南西は(現)中土佐町久礼あたりまでを囲む地図で、須崎市付近は当時の高岡郡須崎町、浦ノ内村、吾桑村、多ノ郷村の全域が入っているが、上分村、新荘村の東部が欠けているのが残念だ。

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吾桑付近を拡大してみると、佐川町や土佐市へ向かう県道(現国道)は一応整備されているが、周辺の道路は一本の破線で表された小徑(小道)で、荷車も通行不能だったらしい。

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須崎や多ノ郷付近も県道が整備されて、荷車の通行できる道も増えているが、少し山間に入るとたちまち小徑(小道)へと変わる。須崎港や池ノ内の池は、埋め立てや干拓前で現在よりずっと広く、桐間は海のままだ。

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浦ノ内を見ると現在とルートは違うが、荷車の通行できる道が東へ伸びている。半島部では整備が遅れているが、当時から海上交通の方が盛だったことだろう。

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安和天満宮 秋季例大祭 [行事・須崎市]

高知県須崎市安和本谷に鎮座する、安和天満宮の秋季例大祭が11月3日に執り行われた。
かつては10月29日に行われていたとのこと。  (クリックすると大きな画像が表示されます)

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警護の天狗に続き、竹ねり、花取りの踊り子が境内へ入り、全員で御祓いを受けたあと天狗が社殿を確かめるかのように棒で打ち宮開けが行われる。

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社殿内では宮司や総代による、開扉、献撰(けんせん)、祝詞(のりと)、舞楽、玉串奉奠、撤撰(てっせん)などの神事が行われ、境内では花取り踊り、竹ねり、天狗の引き打ちが奉納される。

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出御(社殿を出る)した神輿は、烏帽子(えぼし)姿の神役に担がれ御神行(おなばれ)が始まる。 列は先頭を天狗が警護し、竹ねり、花取り踊り、巫女、神輿、長持と続く。

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御旅所へ着御(到着)すると天狗が警護するなか、献撰(けんせん)、奉幣(ほうへい)、祝詞(のりと)、舞楽(巫女の舞)などの神事が行われる。 また天狗が 突っ込み、しばきを奉納する。

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御旅所での神事が終わると、神輿は出御と同じ順列で発座し、社殿へと向かい還御されて、 秋季例大祭は無事に終わった。

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糺鴨神社の御神刀 [町歩き・須崎市]

高知県須崎市東糺町 糺鴨(ただすかも)神社に一振の日本刀が御神刀として祀られている。
                               (クリックすると大きな画像が表示されます)

刀身80.3cm 刀銘は 文久三年八月吉日 土佐國住 源恒吉 作之 (文久3年=1863年)
源恒吉 高岡郡佐川町出身 京都で活躍した南海太郎朝尊の甥にあたる。

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鞘(さや)には、明治十年吉月良日 古屋造作 杉本培 古屋正新 拝 と記されている。 (明治10年=1877年)
古屋造作 雅号=紫竹(しちく) 天保3(1832)年 高岡郡須崎村古市町(現須崎市)に生まれ、父古屋竹原(ちくげん)から画を学び、明治17(1884)年8月には第2回内国絵画共進会へ出品する。弟の杉本培と古屋正新も画家だった。

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鍔(つば)には、左右にトンボが描かれている。

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賀茂神社 秋季例大祭 [行事・須崎市]

高知県須崎市多ノ郷甲 賀茂神社秋季例大祭は毎年10月20日に執り行われ、今年は隔年
神事の須崎までの おなばれ(御神幸)も行われた。
                              (クリックすると大きな画像が表示されます)

参加者一同は境内で清め、社殿内で神様に供物をささげ、巫女が舞を奉納したあと、神様の乗られた神輿を担ぎ出し、おなばれ(御神幸)が始まる。

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境内の馬場での神事のあと、神輿はトラック、参加者はバスなどに分乗し原町へと向かった。
もともと、おなばれは徒歩だったが交通量が増し現在のようになった。

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原町で神輿は神輿車に載せられる。前回まではトラックを使っていたが、境内の倉庫にあった
神輿車(昭和27年=1952年奉納)を解体修理して今年から復活させた。

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警護の はな(天狗面) に続き、花取り踊りの一同、はな、箱練、獅子、ほら貝、五色、宮司、長柄傘、神輿、金幣(きんぺい)、太鼓、長持ち、禰宜(ねぎ)以下の神職、巫女と続き、最後尾を はな が警護しながら、おなばれの列が続く。

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浜町のおなばれ先で到着の神事が執り行われ、巫女の舞と、花取り踊りが奉納された。このあと再び列となり賀茂神社氏子の浜町、新町、鍛治町を練り歩き、原町に戻り、賀茂神社まで車で移動する。

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賀茂神社に戻った神輿は担ぎ急な石段を階段を担ぎ上げられ、社殿内で神様に降りていただき全ての神事を無事終了した。

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葉山名物 鶴亀焼き [町歩き・津野町]

高知県高岡郡津野町永野 JA土佐くろしお葉山支所の一角で 鶴亀焼き が売られていた。 
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昔はあちらこちらで売られていたようだが、近年はすっかり姿を消し珍しい存在となっている。

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店主に 「昔からやっていますか?」 と聞くと、「もう昔になるねえ」 と笑顔で返してくれた。 客の話では開業して30年以上にはなるそうだ。

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金属製の型に油を塗り、生地を流し込み粒餡をのせて、もう一度生地で覆う。

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ガスコンロの中で返しながら焼き上がった一対の鶴と亀。鶴と亀を切り離し、丁寧にバリを取って仕上がりとなる。

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次々とコンロに入れて返す7本の金属製の型は1本約2kg前後、「腕に言うてくる」と店主。津野町内をはじめ須崎市内のいろいろな催物の会場へ出向いて焼いているそうだ。

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10月24日付 高知新聞の記事によると、店主は津野町杉ノ川在住で86歳、家業を継ぎ鶴亀焼き一筋に60年とのこと。

JR須崎駅 地蔵菩薩 [町歩き・須崎市]

高知県須崎市原町1丁目 
JR四国 須崎駅構内の一角にトタン葺きのお堂があり、一体の地蔵菩薩が安置されている。
詳しくは分からないが、舟形光背の左肩に天保十亥年(1839年)と刻まれている。
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大正13(1924)年 須崎駅は土讃線の前身である高知線の起点駅として開業に備え、地蔵菩薩を埋め込んだところ付近に事故や病人が相次いだ。このため当時の機関区長が現在の場所に安置し、毎年例祭と奉納相撲を行っていた。

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ところが第二次大戦後の混乱期に、例祭などが一時中断されたところ死亡や重症事故が続き、昭和27(1952)年5月23日にこれらの行事を復活した。現在は相撲奉納は姿を消しているが、平成24(2012)年は9月9日にJR関係者や地元有志が参列し例祭が行われた。

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メジカ(新子)味噌 [食材・料理]

高知県須崎市
マルソウダガツオの子を地元では 「メジカ」 という。 まさに今が旬の魚で、刺身にして酢みかん(仏手柑)を醤油に絞り、リュウキュウ(ハスイモ)の茎と一緒に食べる。
近海で獲れるため釣り好きの方から良く頂く。刺身が一番だが、たくさん頂いた時には一部を 「メジカ味噌」 にする。                 (クリックすると大きな画像が表示されます)

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メジカを十分茹でて、骨や血合を取り除いたら軽く炙る。炙ることによって生臭さがなくなる。ボールで身をほぐすが炙って硬い部分があれば、すり鉢ですっても良い。

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ほぐした身に、味噌、きざみ生姜、酢、香り付けに酢みかん(仏手柑)を絞り、ごく少量の砂糖、酢みかんの皮を刻んでを隠し味に入れて良く混ぜれば出来上がる。
注意したいのは味噌や酢が勝ち過ぎないこと。味をみながら材料を加減する。

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メジカは鰹節の原料だけあって味にコクがありご飯に良く合う。冷蔵庫で一週間くらいは持つと思うが、保存食ではないので味が落ちないうちに賞味すると良い。

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続・須崎市 観光絵葉書 [資料・須崎市]

高知県須崎市
昭和29(1954)年に市制発足後、経済成長期の波に乗りあらゆる分野で発展していった。
この絵葉書の詳細は不明だが、ブログ記事「須崎市観光絵葉書」の絵葉書よりも後の、昭和43(1968)年以降に発売されている。印刷もオフセットに変わり幾分きれいになった。また何回か改訂版が発売されたらしい。             (クリックすると大きな画像が表示されます)

錦浦湾の夜明  (以下、絵葉書の説明文のとおり)

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(荘厳)墫の滝

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大阪セメント高知工場

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須崎港1万瓲岸壁

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国道56号線 安和 (2枚とも)

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安和海岸 

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須の浦海岸

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県立自然公園横波三里

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久通より龍崎を望む(宇佐)

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久通峠より戸島・神島展望

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ハマチ養殖で名高い野見湾

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テレビ塔より須崎市を望む

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