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空撮須崎今昔 吾桑・多ノ郷 [資料・須崎市]

高知県須崎市 正確には須崎市発足以前の5ヶ町村だった昭和22(1947)年10月11日 米軍機によって高度2438mから撮影された航空写真。
                             (クリックすると大きな画像が表示されます)

 吾桑(当時の高岡郡吾桑村)の画像。中央を斜めに蛇行する桜川に両岸には一面の水田が広がる。水田の東側(写真では右)を国鉄(現JR)土讃線が走り、西側の山際を撮影後の昭和28(1953)年に国道に指定された国道56号線が走る。
 画像上部の三叉路のある付近が吾桑村中心部の小浜集落。その左側には桑田山集落へ上がる蛇行した道路が見える。上部右へは畔の川集落の谷が延びる。また山の斜面には高いところまで段々畑が作られている。
 画像中央部の道路が山に沿って曲がった辺りが尾殿集落。そこから塩九升越(さくじゅうごえ)の坂を通り、画像中央下部の岩永集落に至る。

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 そして現在、JR線は変わらないが、国道56号線はバイパスが新道となり、従来道は県道388号線になった。水田の多くは区画整理され施設園芸のハウス群も見える。
 山間にも道路が整備され所どころ開発もされているが、段々畑は姿を消してしまった。画像下には朝ヶ丘中学校、多ノ郷小学校が見え、左下は多ノ郷東川内の集落と団地。
(出展 画像Ⓒ2014 Cnes/Spot Image.DigitalGlobe.TerraMetrics.Google)

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 多ノ郷(当時の高岡郡多ノ郷村)の画像。前述の吾桑の南側に位置する。画像上部中心から左下に延びる直線が後の国道56号線。当時は須崎湾の海岸沿いに走り須崎駅前を通っていたが、後年になり画像左下の鳥越坂を抜ける新道がつくられた。
 右上から左下の海岸沿いに大きくカーブするのが国鉄土讃線で、途中の多ノ郷駅から土佐石灰の引込み線が分岐して大峰(だいぼう)岸壁から石灰石が船積みされていた。
 左右には水田が広がるが、画像中央の桐間(きりま)は撮影の前年、昭和21(1946)年12月21日の南海大震災の津波で堤防が決壊して海水が流入している。また桐間の左には2隻の中型船が見える。
 画像上部には当時の多ノ郷小学校があった現在の赤崎町、道路を挟んで右側が、現在の西崎町、妙見町、土崎町。左側中ほどには多ノ郷の中心地だった大間の集落があり、左下には営林署の庁舎や官舎、市営住宅の長屋群が見える。

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 66年を経過した現在、かつての水田は周辺にわずかを残し住宅や商業施設に姿を変えた。堤防が復旧され水田に戻った桐間も、調整池を残し埋め立てられ商業施設が増えてきた。画像右下は昭和36(1961)年から操業を始めた住友大阪セメント(当時は大阪窯業セメント)高知工場。
 画像上部左には施設園芸の大型ハウス群が見える。中ほどの須崎工業高校から大間本町、大間西町、山手町と住宅街が続き左下は須崎市役所庁舎。
 道路事情も大きく変わり、国道56号線は鳥越坂を抜けるルートに変更後、現在は高知道(高速道路)と併走するバイパスに再度変更された。JR線は大間駅が昭和35(1960)年に開業、多ノ郷駅からの引込み線は平成4(1992)年10月に廃止その後に撤去された。
(出展 画像Ⓒ2014 Cnes/Spot Image.DigitalGlobe.TerraMetrics.Google)

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