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開戦前夜 須崎湾の連合艦隊 [資料・須崎市]

高知県須崎市 須崎湾は風光明媚なことから錦浦(きんぽ)とも呼ばれ、古くから天然の良港で漁港や避難港として利用されてきた。
 この写真は旧日本海軍が寄港したときの一枚で、匿名を条件にお借りすることができた。
 写真左から、コウギノ鼻、大長岬、戸島(へしま)の島影が見え、左端に旗艦と思われる1隻の軍艦が停泊し6隻の潜水艦が見える。上空の細かな点は祝砲の煙だろうか。右には軽巡洋艦や駆逐艦らしき20隻ほどが見える。このうち艦影から球磨型軽巡洋艦と吹雪型駆逐艦4隻は確認できるが他の艦船はわからない。  (クリックすると大きな画像が表示されます)

s-kantai.jpg

 撮影場所は写真の位置関係から須崎市安和領久東鼻付近のようだ。撮影年月は*資料に「昭和16(1941)年1月3日、第4艦隊司令長官高須四郎中将が旗艦鹿島に乗り、数十隻の軍艦が須崎港を圧していた。(中略)1月6日潜水艦8隻、母艦1隻これに加わる」 との記述と写真を重ね合わせて昭和16年1月と推測できる。
 第4艦隊は南方警備が主任務だったようだが、同じ16年12月8日には真珠湾攻撃が行われ泥沼の戦争へと突き進んで行った。
 出典 *須崎史談104号 岡村歌富氏「土佐沖に来た軍艦」
 
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