星に願いをこめて 七夕祭り [行事・須崎市]
高知県須崎市多ノ郷宮ノ下(みやのしも)
行正部落と清枝(きえき)部落では昔からの七夕祭りを受け継いでいる。 (クリックすると大きな画像が表示されます)
地元の方の話では、その昔、大感冒か疫病が流行したときに七夕様に願をかけたのが始まりらしい。 本来は旧暦の7月6日だが、アキ(水稲の収穫)と重なるので、新暦で行うようになった。
当家(とうや)は6日の夕方から飾り付けを行う。 笹に短冊をつけ、笹と杭の間に縄を渡し、中央に提灯と田芋の葉に包んだ水を各一個、雌雄のわら馬と鞭、各一対の、くずの葉、せんだんの葉、茅、稲穂、なす、まくさ(和紙)に包んだ おふま(米)、ほおずき、を縄に吊るす。
玄関横には 「棚」 をかまえ、中には一対のろうそくと小さな笹と短冊、菓子、果物、酒、ちらし寿司と、世帯数分の米子の重ね餅を供える。昔は各世帯から杯に一杯の米を集め、石臼で製粉していたが、近年は市販の米子で餅を作っている。
6日の夜は、各戸から当夜の家に集まり 「お通夜」 といって雑談などをして過ごす。昔は翌朝日が昇るまで行っていたが、近年は日付が変れば 「お通夜」 は終わる。 「お通夜」 とは単に夜を通すことで 「葬」 の意味合いはない。
7日の早朝には七夕飾りを近くの川へ 「あます」。川の両岸に縄を渡し笹を立てる。魔物が来るのを堰き止める意味があるそうだ。なお 「あます」 とは投棄ではなく神様に帰っていただくことらしい。
行正部落と清枝(きえき)部落では昔からの七夕祭りを受け継いでいる。 (クリックすると大きな画像が表示されます)
地元の方の話では、その昔、大感冒か疫病が流行したときに七夕様に願をかけたのが始まりらしい。 本来は旧暦の7月6日だが、アキ(水稲の収穫)と重なるので、新暦で行うようになった。
当家(とうや)は6日の夕方から飾り付けを行う。 笹に短冊をつけ、笹と杭の間に縄を渡し、中央に提灯と田芋の葉に包んだ水を各一個、雌雄のわら馬と鞭、各一対の、くずの葉、せんだんの葉、茅、稲穂、なす、まくさ(和紙)に包んだ おふま(米)、ほおずき、を縄に吊るす。
玄関横には 「棚」 をかまえ、中には一対のろうそくと小さな笹と短冊、菓子、果物、酒、ちらし寿司と、世帯数分の米子の重ね餅を供える。昔は各世帯から杯に一杯の米を集め、石臼で製粉していたが、近年は市販の米子で餅を作っている。
6日の夜は、各戸から当夜の家に集まり 「お通夜」 といって雑談などをして過ごす。昔は翌朝日が昇るまで行っていたが、近年は日付が変れば 「お通夜」 は終わる。 「お通夜」 とは単に夜を通すことで 「葬」 の意味合いはない。
7日の早朝には七夕飾りを近くの川へ 「あます」。川の両岸に縄を渡し笹を立てる。魔物が来るのを堰き止める意味があるそうだ。なお 「あます」 とは投棄ではなく神様に帰っていただくことらしい。
2012-07-07 17:31
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コメント(2)
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こちらの記事も皆さんに見ていただきたいので、シェアさせてくださいね。
by 小町 (2012-07-10 22:42)
小町様
コメントありがとうございます。わら馬も同様ですが須崎市内でも相違があって面白いです。一人でも多くの方に知っていただきたいので、シェア大歓迎です。
by とんび (2012-07-11 14:02)