須崎高等小学校女子部 昭和4年度卒業記念帖 [資料・須崎市]
高知県須崎市 明治25(1892)年に高岡郡第二高等小学校を改称し須崎高等小学校が発足したが、明治27(1894)年9月暴風雨のため校舎が倒壊し翌年解散した。しかし、入学志望者が増加したため 須崎、吾桑、多ノ郷、新荘、上分の一町四カ村の組合立高等小学校として再出発し、明治33(1900)年4月に鍛治町(現NTT西日本須崎電話交換所)に開校した。
須崎高等小学校女子部 昭和4(1929)年度卒業記念帖 現在の卒業アルバムである。
(クリックすると大きな画像が表示されます)
表紙をめくると教育勅語、詔書とつづく
2ページ目も国民精神作興に関する詔書
校舎全景 画像右下に正門の門柱が見える。
職員 19名中女性職員は4名
卒業生 昭和4年当時の高等小学校の修業年齢は2年間で、現在の中学校1,2学年に相当するため、このアルバムの卒業生は大正4年度生まれ。
第六学級家事授業 現在の家庭科の授業風景。
第七学級算術授業 生徒は総じて髪が長く、束ねるか三つ編みにしている。
第六学級図画写生
第七学級校外集合 服装はセーラー服の一人を除き、全員が着物姿で足袋と下駄をはいている。
須崎高等小学校女子部 昭和4(1929)年度卒業記念帖 現在の卒業アルバムである。
(クリックすると大きな画像が表示されます)
表紙をめくると教育勅語、詔書とつづく
2ページ目も国民精神作興に関する詔書
校舎全景 画像右下に正門の門柱が見える。
職員 19名中女性職員は4名
卒業生 昭和4年当時の高等小学校の修業年齢は2年間で、現在の中学校1,2学年に相当するため、このアルバムの卒業生は大正4年度生まれ。
第六学級家事授業 現在の家庭科の授業風景。
第七学級算術授業 生徒は総じて髪が長く、束ねるか三つ編みにしている。
第六学級図画写生
第七学級校外集合 服装はセーラー服の一人を除き、全員が着物姿で足袋と下駄をはいている。
2014-05-11 11:46
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