吾井郷 天満宮秋季例大祭 [町歩き・須崎市]
高知県須崎市吾井郷甲 吾井郷天満宮の秋季例大祭は毎年11月23日に執り行われている。
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吾井郷天満宮は吾井郷甲もず谷に鎮座し菅原道真を祀っている。創建は棟札銘から文治4(1188)年の建立と見られ、寛文11(1671)年に京都白川天満宮を勧請して再建し、大正4(1915)年には吾井郷の各神社を合祭した。
社殿で神様に御神輿に乗っていただき、棒ねり踊りの子供らを先頭に警護のハナ(天狗面)、旗、御神輿、神官、金幣(きんぺい)、太鼓、、巫女、供物を入れた長持ち、色旗、槍、と続く。
一行は急峻な石階段の坂道を下り、鳥居をくぐりJR線の踏切をわたり御旅所へと向かう。
御旅所は四方の柱に天満宮の梅紋の入った天幕が張られ、御神輿が納められたあと神事が執り行われる。巫女による浦安の舞が奉納され、棒ねり踊りの子供たちは踊りながら御旅所を反時計回りに数回まわる。
棒ねり踊りは、先頭を乳児を抱いた父親が指揮を執りながら歩き、幼児から小学校6年生までの児童が後に続く。抱かれている乳児には紙製の兜が用意され、幼児はカスリと染めの衣装に白たすき、烏帽子に白鉢巻姿で手に薙刀(なぎなた)を持つ、化粧を施し鼻筋を白く目尻を赤く塗っている。
小学生は濃紺の七分袖の服に同色の帯を締め、同色の手甲、白鉢巻に白たすきの衣装。「ヨッオイヨイ ヨッオイヨイ」と掛け声を掛けながら歩き、指揮に従って二人一組で棒を組み合わせながら、棒ねり踊りを奉納する。
警護のハナ(天狗面)は現在は阿吽の一対のみだが氏子の話によると「昔はもっと多かった」らしい。また棒ねり踊りも児童数が多かった時代には、出たくとも順番が来なかった思い出話も聞くことができた。
御旅所での神事が終了すると一行は坂道を登り、御神輿が社殿に納められて秋季大祭は幕を下ろす。
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吾井郷天満宮は吾井郷甲もず谷に鎮座し菅原道真を祀っている。創建は棟札銘から文治4(1188)年の建立と見られ、寛文11(1671)年に京都白川天満宮を勧請して再建し、大正4(1915)年には吾井郷の各神社を合祭した。
社殿で神様に御神輿に乗っていただき、棒ねり踊りの子供らを先頭に警護のハナ(天狗面)、旗、御神輿、神官、金幣(きんぺい)、太鼓、、巫女、供物を入れた長持ち、色旗、槍、と続く。
一行は急峻な石階段の坂道を下り、鳥居をくぐりJR線の踏切をわたり御旅所へと向かう。
御旅所は四方の柱に天満宮の梅紋の入った天幕が張られ、御神輿が納められたあと神事が執り行われる。巫女による浦安の舞が奉納され、棒ねり踊りの子供たちは踊りながら御旅所を反時計回りに数回まわる。
棒ねり踊りは、先頭を乳児を抱いた父親が指揮を執りながら歩き、幼児から小学校6年生までの児童が後に続く。抱かれている乳児には紙製の兜が用意され、幼児はカスリと染めの衣装に白たすき、烏帽子に白鉢巻姿で手に薙刀(なぎなた)を持つ、化粧を施し鼻筋を白く目尻を赤く塗っている。
小学生は濃紺の七分袖の服に同色の帯を締め、同色の手甲、白鉢巻に白たすきの衣装。「ヨッオイヨイ ヨッオイヨイ」と掛け声を掛けながら歩き、指揮に従って二人一組で棒を組み合わせながら、棒ねり踊りを奉納する。
警護のハナ(天狗面)は現在は阿吽の一対のみだが氏子の話によると「昔はもっと多かった」らしい。また棒ねり踊りも児童数が多かった時代には、出たくとも順番が来なかった思い出話も聞くことができた。
御旅所での神事が終了すると一行は坂道を登り、御神輿が社殿に納められて秋季大祭は幕を下ろす。
2013-12-02 15:45
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